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2014/08/20 Wednesday 10:53:45 JST

No.830 ≪李登輝と新渡戸稲造の武士道を読む≫-2014.8.20 目加田博史

 

盆休みに「李登輝より日本へ贈る言葉」(李登輝著 ウェッジ社刊)を読みました。毛沢東率いる共産党に追われる形で中国大陸から台湾にやってきた蒋介石の国民党は台湾で恐怖政治を行いました。京大から日本人として太平洋戦争に出兵し、終戦後はアメリカの大学で農政学を治め、請われて国民党に入党しました。台湾をよくするには、李登輝氏の主義とは対極にあるにもかかわらず、権力者の国民党に入党し、今日の近代国家台湾を作り上げられたプロセスが書かれています。まだお読みで無い方は、是非一読をお勧めいたします。

中国とはどういう国で、韓国とはどういう国か、日本はなんと素晴らしい国で、どう行動すべきかがわかりやすく語られています。高校生のころ、李登輝氏に大きな影響を与えたイギリスの作家、カーライルの「衣装哲学」という本がありました、森羅万象において様々な形を取るがそれは一時的に様々な衣服を着ているにすぎない。本質は何も変わってはいないが、外から見ると全く別物のように見えるというような、非常に難解な内容でした。その時に明快に解説してくれた人がおり、それが新渡戸稲造でした。それ以来、新渡戸稲造の著作を読み、中でも「武士道」がもっとも重要なものだと思いいたったのです。日本が日本たらしめているのは新渡戸稲造氏のいう「武士道」そのものです。

そこで私も早速、新渡戸稲造の「武士道」を取り寄せ、感動のうちに読み終わりました。李登輝氏が言いたかったのはこれなのかと思いいたったのです。

新渡戸稲造の「武士道」が生まれた背景が序文にありますので引用します。

「約10年前(1889年)、著名なベルギーの法学者、故ラブレー氏の家で歓待を受けて数日を過ごしたことがある。ある日の散策中、私たちの会話が宗教の話題に及んだ。『あなたがたの学校では宗教教育というものがないとおっしゃるのですか』と、この高名な学者が尋ねられた。私が『ありません』という返事をすると、氏は驚きのあまり突然歩みを止められた。そして容易に忘れがたい声で『宗教が無いとは。一体あなた方はどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか』と繰り返された。
そのとき、私はその質問に愕然とした。そして即答できなかった。なぜなら、私が幼いころ学んだ人の倫たる教訓は学校で受けたものではなかったからだ。そこで、私に善悪の観念を作りださせた様々な要素を分析してみると、そのような観念を吹き込んだものは武士道であったことにようやく思い当たった。

この小著の直接の発端は、私の妻(メリー婦人 アメリカ人)がどうしてこれこれの考え方や習慣が日本にいきわたっているのか、という質問を頻繁に浴びせたからである」
新渡戸稲造氏もラブレー氏やメリー婦人が理解できない理由が理解できなかったのです。外国人にどうすれば日本人の道徳観、死生観を伝えるために英語で執筆したのが「武士道」です。

武士道の「忠義」の節で取り上げられている「菅原伝授手習鑑」は、菅原道真について書かれた物語ですが、「忠義」を行動にあらわせばこうなるという物語がありますので要約し引用します。
「菅原道真は政敵、藤原時平の嫉妬の犠牲となって都を追放された。一族を根絶やしにせんと道真の幼子を寺子屋に見つけ出し、期限までに首を差し出すように主の源蔵に命令する。
困った源蔵は身代わりを捜すが、なかなかいない。そこに、幼子によく似た子を連れた母親が寺子屋への入門を求めた。母子は幼子が瓜二つだと確認し、目と目で示し合わせた。そして、期日に首を差し出した源蔵は、検分にきた役人の松王丸に身変わりだと気づかれないことを祈っていた。見破られること無く検分は終わった。我が子の首を差し出した母は夫が帰るのをじっと待った。夫は帰るなり『我らがいとけしせがれは立派にお役にたったぞ。喜べ女房』と叫んだ。夫とは先ほど首の検分をした役人の松王丸である。松王丸一家は道真の恩寵を受けていたのだ。お役目とはいえ、主人藤原時平の命に不忠であるわけにはゆかなかった」 現代ではありえないことだが、武士道では個人よりも家、家よりも国家を重んじられたあかしといえます。幼子といえども自分の役割をちゃんと理解できたのである。

日本を学べば学ぶだけ、日本のすごさ、祖先の偉大さを思わずにはおれません。新渡戸稲造氏は札幌農学校で教え、アメリカに留学し、帰国後は台湾総督府の児玉源太郎、民政長官の後藤新平の要請を受け、台湾で糖業指導を行いました。このころの業績が同じ農政畑を歩んだ李登輝氏との接点となったのではないかと思います、その後、東京女子大の学長、国際連盟の事務次長に就任し、活躍されました。
新渡戸稲造氏の「武士道」を一読されることをお勧めいたします。

 
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