No.808 ≪クリミア問題と干支≫-2014.3.19 |
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2014/03/19 Wednesday 13:02:23 JST | |
No.808 ≪クリミア問題と干支≫-2014.3.19 目加田博史
今回は会社経営とは少し趣を異にしますが、クリミア問題と干支(えと)について考察しようと思います。関心のない方は、読み飛ばしてください。 その後、1914年に地中海の東端にあるヨーロッパの火薬庫と呼ばれたバルカン半島で第一次世界大戦が始まり、その最中に起きたロシア革命によりソ連が誕生しました。その後勢力を拡大したソ連ですが、1954年にフルシチョフが生まれ故郷のウクライナに錦を飾ったのかどうかわかりませんが、純ロシア領土ともいえるクリミアをウクライナに帰属させて、クリミアはウクライナ領となりました。同じソ連領土内ですので、政治的には何の問題も発生しませんでしたが、1991年にソ連が崩壊し、ウクライナが独立したことで、今回の問題が表面化しました。 面白いのは、干支との関係です。クリミアをロシアに編入した今年は「甲午(きのえうま)」です。オスマン・トルコにロシア正教徒の保護権を獲得した1774年も「甲午(きのえうま)」、1853年に勃発したクリミア戦争は「癸丑(みずのとうし)」で、戦況が悪化した1854年は「甲寅(きのえとら)」、その後勢力を盛り返したロシアがドイツと対立した第一次世界大戦は1914年で「甲寅(きのえとら)」、フルシチョフがクリミアをウクライナに帰属させた1954年は60年前の「甲午(きのえうま)」です。「甲(きのえ)」年は、整理が進んだ大地に落ちた種が殻を破って芽をだすときで、別名「かいわれ」ともいわれます。くしくも同じ「甲(きのえ)」年に起きているのは何かの因縁かもしれません。 干支は天地のエネルギーの循環を表していますので、単純な占いとは異なり、人間と自然の関わりの中で繰り返される歴史として見てゆくと、一つの知見ととらえることができるのではないでしょうか。 |
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最終更新日 ( 2014/03/19 Wednesday 13:02:43 JST ) |