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2013/04/24 Wednesday 16:28:47 JST

No.762 ≪85年バブルと小泉改革とアベノミクス≫-2013.4.24

 

985年9月22日、アメリカ・ニューヨークにある高級ホテル「プラザホテル」で開催されたG5蔵相会議で為替レートに関する合意(別名プラザ合意)がなされました。その翌日、ドルは安くなり、円は高くなりました。合意前日235円だった円がたった一日で210円にまで上がったのです。当時のアメリカはインフレ抑制策をとっており、1984年から金利は8.18%と高く、海外資金の流入を招きました。また、貿易面ではドル高のため、海外製品、中でも高品質で低価格の日本製品が大量に輸入され、貿易収支は大幅な赤字になっていたのです。レーガン大統領は対日政策として、ドル安にシフトすべく、行動したのです。

その結果として、日本では円高不況となり、多くの輸出企業が倒産しました。この不況を乗り切るために、日銀が公定歩合を5%から2.5%へと半減し、市場に資金を大量に供給しました。銀行から2.5%で借りて、ドルを買い、8.18%のアメリカの債権を購入したり、株式市場や不動産市場に流れて、株高、土地高となり、日本は好景気に沸きました。新入社員の給与が先輩社員の給与よりも高くなったのもこのころで、企業は給与規定の改訂におわれました。所得が増えて、円高で安くなった輸入品があふれ、消費が消費を呼ぶ状態になったのです。これがいわゆるバブル景気です。悪質な地上げが横行し、社会問題になりました。政府はあまりにも加熱した市場を正常化するために公定歩合を6%にまで高める高金利政策をとりました。また、不動産に関しては総量規制をかけて、抑制を図りましたが、一気にこれがバブルを崩壊させ、そのまま今のデフレ低成長状態に突入させてしまいした。

バブル崩壊後、1995年の阪神淡路大震災、オウム真理教サリン事件、1996年には山一証券等多くの大手金融機関が破たんし、合併がめまぐるしく繰り返され、現在のメガバンクが誕生しました。ゼネコン等、倒産が相次ぎ社会不安はピークに達しました。自殺者が3万人に達したのもこのころ(1998年)です。毎年、総理大臣が交代し、一向に良くならない社会の中で、次第に将来に希望を持たなくなっていたのです。
そこで、登場したのがワンフレーズの神様ともいえる小泉純一郎政権です。わかりやすいことばで政治を語り、多くの人々の好意と共感を得て、改革を断行してゆきました。反対する者は「抵抗勢力」とレッテルを貼り、アメリカのブッシュ大統領とも良好感関係を構築し、改革は大きく前進しました。北朝鮮に拉致された家族の一部が電撃帰国したのもこの時です。

デフレ脱却のために「聖域なき構造改革」(俗にいう骨太の方針)を掲げ、徹底した官から民への転換を意図しました。郵政民営化、道路公団民営化を推し進め、金融機関には自己責任を追及し、大手銀行の破たんも辞さない姿勢で臨み、多くの金融機関に公的資金が投入され、一時的に国有化しました。
金融機関の不良債権処理のプロセスで、外資系金融機関が不良債権を高値で買いあさり、担保に押さえていた主だったゴルフ場やホテルのほとんどを手に入れました。モルガンスタンレー、ローンスター、ゴールドマンサックス、リーマンブラザース等がそれです。リーマンブラザースは2008年に破たんし世界中に大きな被害を与えたのですが、そのころはとても優秀でやり手の金融機関でした。日本人では到底発想しえない発想をして、莫大な富を手にするまるで錬金術か魔法のような手法を編み出してきました。沖縄の高級リゾートホテルはすべて外資系に変わりました。

一方、経済界においては多くの規制緩和を推進し、企業の活性化を進めたのです。そこで生まれてきたのが、ジェネリック医薬品、労働者派遣の自由化、つまり派遣社員の激増、新会社法の制定で1円株式会社を可能にしました。公共事業の民間委託制度(指定管理者制度)もこの時に可能になりました。

小泉政権の後を継いだ安倍総理が期中退陣し、その後、毎年総理が替わり、その中で発生したリーマンショックは世界中を景気後退に導き、現在のユーロ危機の引き金になりました。日本でも混沌とした社会にうんざりした国民が選択したのは民主党政権への交代です。最初は大きな期待もありましたが、デフレ脱却もままならず、こう着状態が続いている時に安倍総理が再登場し、アベノミクスを打ち上げて現在に至ります。

余談ですが、今のデフレ低成長のきっかけとなったプラザ合意の1985年は、日本にとってもう一つ大きな決断がなされています。通信自由化です。このおかげで、第二電電が誕生し、いまではだれもが携帯やスマホを持ち、どこでもwi-fiでネット使用できる社会になったのです。

 

目加田博史

最終更新日 ( 2013/05/01 Wednesday 15:05:43 JST )
 
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