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No.492【吾 唯 知 足】-2008.1.23 プリント メール
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2008/01/23 Wednesday 09:58:40 JST
No.492【吾 唯 知 足】-2008.1.23

 

京都・龍安寺の石庭には水戸光圀公(黄門様のほうが有名かもしれませんね)が寄進したといわれる蹲(つくばい)があります。
その蹲(つくばい)は、下図のように銭形をしており、「吾唯知足」と書かれています。

蹲とは、茶室の庭に据える手洗い鉢です。円形の石の中心に水をためます。
tsukubai

「われ、ただ、たるをしる」と読みます。
本来は禅問答のように深い哲学的な意味があるのでしょうが、私なりに解釈しているのは「満足することを知っている人は貧しくても幸せで、不満を感じることがない。しかし、それを知らない人は豊でも幸せになれず、不満ばかり口にしている。人間の欲は際限がないので、いつも満たされず不満ばかり口にして一生を終わる。安らかな時を一度も経験せずに一生をおわるなんてなんとかわいそうではないか」という意味にとらえています。


また、龍安寺は石庭で有名だが、庭に配置された石が15個あるはずなのに、いくら数えても、どこから見ても14個しか見えないように配置されている。
「15」という数字は十五夜の満月のように「完全」を意味しており、普通の人間は、どうみても14個しか見えないのだから不完全なのです。悟りを開いた人だけが15個みえるのであり、人間というのは欠点が多く、完全なものは少ないのだという教えでもあります。
だから、完全でない「あなた」が、完全でない「私」のことを、「こんなこともできない、あんなこともわからない」と不満をもらす「あなた」はなんと不幸なのかという意味で戒めたいものです。

≪人は本来「完全」なのだ≫
一方、私は人間ほど完全なるものはないと思っています。私たちはいかなる「思い」も実現することができるすばらしく完全な生き物なのです。
お釈迦様をして、「知足」を説かせた人間の欲深さが不完全さを誘発しているのです。
この世に生を受けているだけで「感謝」するこころを持っていれば、飢えぬほどの食べ物と病気にならぬほどの衣服と濡れぬほどの住まいで満足できることでしょう。
そうすれば、毎日、暖かい部屋でおいしいごちそうを思う存分いただけるなんて、恐れ多くも、もったいなくて、ありがたくて感謝しきれないはずです。

2008年は、政治経済、それにまつわる経営環境は劣悪な状況になるでしょうが、政治が悪い、社会が悪いと愚痴や不満を言う前に、「知足」の精神で、お客様や社員、道具やお金と接してみようではありませんか。「本当の豊かさとは何か」が少し見えてくるかも知れません。

最終更新日 ( 2008/01/23 Wednesday 09:59:12 JST )
 
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