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No.392【お客様を増やす方法は足元にある】-2006.2.8
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2019/01/16 Wednesday 14:17:24 JST

No.1047 ≪あれから24年、あの日をわすれない≫-2019.1.16 目加田博史

 

1995年1月17日5時47分。下から突き上げるような激しい揺れにたたき起こされた阪神淡路大震災。最大震度は7、マグニチュード7.3の地震は6,434人の命を奪いました。お亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
あれから24年。今年と同じ亥(い)年に起きた大災害です。負傷者は44,000人弱、全壊・半壊した建物は約25万棟、全焼した家屋は7,000棟。JRの兵庫駅~鷹取駅にかけて一面が焼け野原で、なんと、水平線が見えました。あれから24年。あの時の災害がきっかけで、携帯電話が急速に普及しました。最初はPHSが、次に携帯電話が、次にスマホが普及し、今では生活に欠かせないツールになっています。あの地震が無ければ、普及はもっと遅れていたことでしょう。

毎年、同じ内容を書かせていただき申し訳ございませんが、私の中では防災意識の原点となっています。それまでも災害は日本のあちらこちらで発生していましたが、せいぜい、テレビニュースの映像で見る程度で、映像が流れなくなると日常に戻ってしまっていました。
しかし、あの出来事は、実際に体験しただけに体に沁みこみ、それこそ細胞一つ一つに鮮明に記憶されています。

私の出身は兵庫県川西市ですので、青春時代を過ごした神戸には友人知人が少なからずいました。
その日の2日前、1月15日~16日で神戸の友人と会う予定で神戸のホテルを予約していましたが、友人の都合が悪くなり、仕方なく会社の近くの大阪のホテルに宿泊することになりました。
もし、友人が東京に急用ができなければ、予定通り神戸で泊まっておれば、私も友人も、あの地震に会っていました。

大阪のホテルの11階で熟睡していた時、地震発生。異常な揺れに驚いて飛び起きると、電気がつきません。カーテンをあけて白み始めた朝もやの中で室内を見ると、枕元にあったテレビが足元に飛び、冷蔵庫が倒れているのが分かりました。ホテルのバスタブに湯を張っていた方は湯が全部なくなっていたそうです。
館内放送で、緊急避難指示がでて、非常階段をロビーまで下り、待機しましたが、停電しているので、テレビも映りません。どのような状況か全くわかりません。午前中に鹿児島まで出張する予定でしたので、ホテルスタッフを説得して、無理やりチェックアウトしました。

外に出るとガラスが無数に飛び散っており、早朝で人通りがなかったのでけが人が出なくてよかったと思いました。地下鉄は止まっています。タクシーもなかなか来ません。やっと捕まえたタクシーに乗るなり、何があったのかと運転手さんに聞くと、神戸で地震があり、阪神高速(道路)が横倒しになっているとのこと。伊丹空港に到着して、ロビーのテレビをみて唖然としました。なんと、神戸の町が燃えているではありませんか。会社や自宅、実家に連絡を取ろうと公衆電話を探しましたが、どこも長蛇の列です。やっと、電話をかけても話中でつながりません。当時は、ほとんどの地域で電話回線が寸断され、不通常態になっていたのです。

8時台の死者3名は、鹿児島に着いた9時台には300名、鹿児島を出発する17時台には1500名、大阪に着いた18時台には3000名と、時間がたつにつれて被害の大きさが明らかになりました。
あらゆる交通インフラが寸断されていましたので、臨時バスかタクシーしかありません。どこも長蛇の列です。
ここで事件がおきました。客待ちしていたタクシー運転手が「料金は一人5000円。4人1組で乗せる」というのです。乗客が拒否すると、運転手は動こうとしません。結局4人で同じ方向の人が集まり、乗ってゆきました。非常事態に便乗して商売しようとする人がいることに愕然としました。

翌日(18日)、会社に出社すると、社員とお客様の安否確認状況がボードに掲示されており、住宅が倒壊したり、壊れた方はいましたが、亡くなったり、怪我をした方がいなかったのが不幸中の幸いでした。その日は、安否確認で一日が終わり、翌朝から、皆で手分けして、お客様を訪問することにしました。

鉄道はJR、阪神、阪急とも、淀川以西では、いたるところで寸断されており、高速道路は通行止めで、一般道もひび割れて、車線減少、しかも物資輸送のトラックで大渋滞です。確実なのは「バイク」「自転車」「自分の足」です。ところが、バイクや自転車はどこも売り切れで、臨時電車と臨時バスを乗り継いで歩いてゆくしかありませんでした。

神戸市内は言うに及ばず、大阪市内のデパート、スーパー、コンビニのあらゆる食品はすべて売り切れです。
昨日まであった「モノ」が一瞬にして消えてしまうのです。その後で、物価の高騰が起きます。
神戸市内に入ると、温かい食べ物には行列ができ、たこ焼き6個が1000円、おでん3個1000円、うどん1000円。普段の3倍以上の高さです。しかし、買えるだけ幸せで、お金があっても「モノ」が無いのです。まさにインフレの現場そのものです。イザという時にものをいうのは「体力」と「当座の食糧」だと実感しました。

お客様の会社に着くと、地震で、風景が様変わりしていました。あたり一面焼野原の社屋の前で、急ごしらえのドラム缶ストーブの回りに輪になって暖を取っておられました。1月の神戸は六甲おろしが吹き、凍るような寒さで、ストーブの温かさが身に沁みました。
お会いするなり、お客様は、今までの思いを、堰を切ったように、話し始められました。いつまでもいつまでも。それだけ、大変な思いをされたんだなと、胸に迫るものがありました。私たちにできることは、向き合って、寄り添って、お話を聞くぐらいしかできません。慰めも激励もなんの力もないことを知りました。

あれから24年。神戸は多くの悲しみを乗り越え、見事に復興を成し遂げています。地震を身近で体験した私たちの義務は、この日に起きたことをずっと忘れないこと、そして、防災に努めることだと思います。

最終更新日 ( 2019/01/24 Thursday 14:23:34 JST )
 
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