No.1042 ≪立派な会社になったけれど楽しくない≫-2018.12.5 |
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2018/12/05 Wednesday 10:48:47 JST | |
No.1042 ≪立派な会社になったけれど楽しくない≫-2018.12.5 目加田博史
ある会社で、幹部数人で「ゆんたく」(※)している時、ある人が「昔、先生と皆で喧々諤々話し合って、『こんな会社にしよう』とビジョンを決めたけれど、その時は、そんなの絶対無理だよなと思いつつ、でも、そんな会社になればいいなあと夢みたいなことを思っていた。それが、利益だって、自己資本比率だって、収益性だって、売上高だって、無借金の財務体質だって、社員数だって、知名度だって、皆達成できた。本当はもっと嬉しいはずなのに、なぜか、楽しくない。これから何を目指せばいいかわからない。その時に話し合ったメンバーにも聞いてみたけれど、皆同じように感じていた。これって、何なんでしょうね」としみじみと言った。 その時は、「あなたも私も若かったし、このままでは終わりたくないから、もっと良くしようという思いしかなかったからじゃないですか? あの時は、夢のような話でしたね。でも、一朝一夕に実現したわけではないし、途中で仲間が去って行ったこともありましたし、紆余曲折を経て、やっとたどり着いた今です。あのときに掲げたテーマがすべて実現できたとき、私達は一つ上のステージに立っているのですから、次の目標やビジョンがいるでしょうね」と答えましたが、後で振り返ると、私も同じような経験をしていることを思い出しました。 経営コンサルタントに憧れて、フードサービス業から創業26年目の前職に転職したのは29歳の時でした。職場はそれぞれの分野で権威ともいえるキャリアを持った個性的な専門家集団で、とても家庭的で、皆が自信にあふれていました。果たして、うまくやっていけるか不安もありましたが、不安以上にあこがれが強く、思いのほか、自分の性に合っていたのは幸いでした。 年間1800時間に及ぶ残業はもちろんサービス残業です。経営コンサルタントの仕事は、お客様に認められて初めて価値があるので、いくら時間をかけても評価されることはなく、努力に裏打ちされた力量に依存する要素が大きかったと思います。だから、就業規則には時間外規定はありましたが「申請する習慣がない」と明記されており、労働基準監督署がそれを認めていました。現在の働き方改革の高度プロフェッショナル制度を35年前から実践していたのです。当時は不平どころか、仕事が楽しくて仕方がなかったのです。何よりも、妻が「表情が明るくなった。仕事が楽しいのがよくわかる」と協力してくれたのはありがたかったです。4歳の子供も夕方寝て、夜中に起きて団らんするという生活リズムに変えていました。次第に、収入も増えてゆきました。 創業35周年を迎えた時に、事業承継を踏まえて、店頭公開することになりました。それまでは、プロセス重視のマネジメントで、基準や規定は一通りそろっていましたが、今度は、投資家である株主を意識した明確な管理が求められ、プロセスだけでなく結果についても具体的な根拠を求められるようになりました。 沖縄の事業所長から本社の部門長に異動した頃、阪神大震災に遭遇し、人生観が大きく変化しました。企業のあるべき姿は何か、探しもがいていたのです。思案熟慮の末、創業社長に相談し、やりたいことがあると言って、退職しました。その後、OB会の事務局を引き受けることになり、創業社長がお亡くなりになるまで毎年お会いしていました。ある時、創業社長に「実は、あの時から会社の目指す方向と入社時に共感した方向が一致しなくなり、わがままを言ってしまいました。申し訳ございませんでした」とお詫びしたところ、「わかっていましたよ。それがよかったのです」とにっこり微笑んでくださいました。 会社は立派になったのに、仕事が楽しくなくなった時に、次のステージに向けて、トップを説得する行動をなぜとらなかったのかと後悔が残っていましたが、すべて理解をして受け入れていただいていたとわかって嬉しかったです。 |
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最終更新日 ( 2018/12/12 Wednesday 16:45:28 JST ) |