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No.387【今年の出来事】-2005.12.28
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2018/12/05 Wednesday 10:48:47 JST

No.1042 ≪立派な会社になったけれど楽しくない≫-2018.12.5 目加田博史

 

ある会社で、幹部数人で「ゆんたく」(※)している時、ある人が「昔、先生と皆で喧々諤々話し合って、『こんな会社にしよう』とビジョンを決めたけれど、その時は、そんなの絶対無理だよなと思いつつ、でも、そんな会社になればいいなあと夢みたいなことを思っていた。それが、利益だって、自己資本比率だって、収益性だって、売上高だって、無借金の財務体質だって、社員数だって、知名度だって、皆達成できた。本当はもっと嬉しいはずなのに、なぜか、楽しくない。これから何を目指せばいいかわからない。その時に話し合ったメンバーにも聞いてみたけれど、皆同じように感じていた。これって、何なんでしょうね」としみじみと言った。
※「ゆんたく」というのは、沖縄の方言で、茶話会のようなもので、会議とは異なり、発言に責任を持たなくてよい話し合いです。

その時は、「あなたも私も若かったし、このままでは終わりたくないから、もっと良くしようという思いしかなかったからじゃないですか? あの時は、夢のような話でしたね。でも、一朝一夕に実現したわけではないし、途中で仲間が去って行ったこともありましたし、紆余曲折を経て、やっとたどり着いた今です。あのときに掲げたテーマがすべて実現できたとき、私達は一つ上のステージに立っているのですから、次の目標やビジョンがいるでしょうね」と答えましたが、後で振り返ると、私も同じような経験をしていることを思い出しました。

経営コンサルタントに憧れて、フードサービス業から創業26年目の前職に転職したのは29歳の時でした。職場はそれぞれの分野で権威ともいえるキャリアを持った個性的な専門家集団で、とても家庭的で、皆が自信にあふれていました。果たして、うまくやっていけるか不安もありましたが、不安以上にあこがれが強く、思いのほか、自分の性に合っていたのは幸いでした。
給与は2/3になり、休日は年に4日しかなく、残業は月150時間以上で、ほぼ始発・終電の生活で、泊りがけの出張は毎週あり、家にいる時間は約6時間程度の生活に変わりました。家にいる約6時間は妻と4歳の子供との団らんと睡眠をやりくりしていました。それでも、毎日が楽しくてワクワク・ドキドキ・ウキウキしていました。
上司や先輩の指導はとても厳しかったですが、自分がやりたいようにやらしてもらえました。そして、それがうまくいった時はたまらない快感がありました。次第に、給与も上がり、役職もつき、休日も増え、家族との時間が確保できるようになり、生活は充実してゆきました。

年間1800時間に及ぶ残業はもちろんサービス残業です。経営コンサルタントの仕事は、お客様に認められて初めて価値があるので、いくら時間をかけても評価されることはなく、努力に裏打ちされた力量に依存する要素が大きかったと思います。だから、就業規則には時間外規定はありましたが「申請する習慣がない」と明記されており、労働基準監督署がそれを認めていました。現在の働き方改革の高度プロフェッショナル制度を35年前から実践していたのです。当時は不平どころか、仕事が楽しくて仕方がなかったのです。何よりも、妻が「表情が明るくなった。仕事が楽しいのがよくわかる」と協力してくれたのはありがたかったです。4歳の子供も夕方寝て、夜中に起きて団らんするという生活リズムに変えていました。次第に、収入も増えてゆきました。

創業35周年を迎えた時に、事業承継を踏まえて、店頭公開することになりました。それまでは、プロセス重視のマネジメントで、基準や規定は一通りそろっていましたが、今度は、投資家である株主を意識した明確な管理が求められ、プロセスだけでなく結果についても具体的な根拠を求められるようになりました。
上場請負の専門家が証券会社から入社され、公開企業に向けた様々な取り組み、制度の改訂、新規規定の整備、整合性があり根拠が明確な経営計画と経営組織と職務権限及び業績の進捗管理が厳しくなり、お客様との契約のやり方もあいまいさは許されずとても厳しくなり、パンフレットで表現する言葉一つに至るまで細かいチェックが入るようになりました。各事業所に10cm幅のファイル10冊分のマニュアルが配布されました。何をするにもマニュアルと首っ引きで確認しないと仕事になりません。プレスリリースが増えて、すべてが衆人環視の中で行動しているような会社にありました。さらに、株価をあげるために、業績を上げなければならず、お客様に寄り添うよりは、会社の業績のために無理な営業を展開する人も出てきました。さらに、そのやり方を水平展開することが求められ、次第に、地に足がついていないもどかしさと、絵にかいたようなマネジャー像を演じなければならない空しさを感じ、楽しさよりは苦しさが増えていきました。

沖縄の事業所長から本社の部門長に異動した頃、阪神大震災に遭遇し、人生観が大きく変化しました。企業のあるべき姿は何か、探しもがいていたのです。思案熟慮の末、創業社長に相談し、やりたいことがあると言って、退職しました。その後、OB会の事務局を引き受けることになり、創業社長がお亡くなりになるまで毎年お会いしていました。ある時、創業社長に「実は、あの時から会社の目指す方向と入社時に共感した方向が一致しなくなり、わがままを言ってしまいました。申し訳ございませんでした」とお詫びしたところ、「わかっていましたよ。それがよかったのです」とにっこり微笑んでくださいました。

会社は立派になったのに、仕事が楽しくなくなった時に、次のステージに向けて、トップを説得する行動をなぜとらなかったのかと後悔が残っていましたが、すべて理解をして受け入れていただいていたとわかって嬉しかったです。

最終更新日 ( 2018/12/12 Wednesday 16:45:28 JST )
 
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