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No.391【今時のイギリス】-2006.2.1
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2018/11/21 Wednesday 16:05:36 JST

No.1040 ≪「はじまり」は「今」につながっている≫-2018.11.21 目加田博史

 

私は職業柄、起源や創業や始まりに非常に関心があります。無から有を生じたその瞬間を知ることで、今につながる歴史や物語が連綿とつながっているのがわかります。そして、その多くは、始まりの時の思いが底流を流れているものです。

先週の2日間、20名の経営者の方々と京都の老舗企業の視察を兼ねて、紅葉を愛でるツアーを行いました。今年は暖冬なのか、もみじやカエデの色づきは今一つでしたが、真っ青に晴れ渡った秋晴れの心地よい一時でした。

そもそも京都遷都はなぜ起きたのか。神武天皇が奈良の橿原宮で建国されたのは紀元前660年2月1日。その後、奈良は1450年もの間、都として栄えました。乙巳の変の後、後の天智天皇である中大兄皇子が大化の改新を断行し、その後天智天皇グループが政権を掌握しましたが、壬申の乱で、弟の天武天皇が即位し、その後天武天皇グループが政権を取りました。同時に奈良仏教も発展し、興福寺や法隆寺、東大寺など次々と勢力を拡大し、政権中枢で大きな力を発揮しました。しかし、その天武天皇グループの称徳天皇で代が途絶え、皇位は、天智天皇グループの62歳の白壁親王(後の光仁天皇)になりました。政争に巻き込まれないよう凡庸を装っていたぐらいですから、本命ではなかったわけです。光仁天皇と高野新笠との間に、山部新王と早良親王の兄弟がいました。44歳で天皇に即位した桓武天皇は、抵抗勢力にがんじがらめにされる前に、側近の藤原種継の提案を受けて奈良から長岡京に遷都することを決めたのです。長岡京及び京都には藤原種継の実家である秦氏が勢力を拡大しており、保守的な奈良とは全く異なる新天地に期待したのです。それが785年。同時に外交面で手を打ったのが坂上田村麻呂に命じて蝦夷征伐を行ったことです。

ところが、事件が起きます。既存勢力の奈良の有力者により、長岡京造営長官である藤原種継が暗殺され、クーデターが起きたのです。徹底的な首謀者探しが始まり、大伴家持一派の多くが捕えられ処刑されました。そのとばっちりを受けたのが、東大寺に出家していたのを還俗させられ皇太子になっていた弟の早良親王です。クーデターグループの中に早良親王の側近がいたため、首謀者と疑われてしまったのです。皇太子を降ろされ、監禁、淡路島に流島されてしまいます。無実を訴えハンストを続けていた早良親王はなくなってしまいます。その後、立て続けに天災地変がおき、政権不安が蔓延します。そこで、桓武天皇は、造営中の長岡京を捨て、新天地である平安京に遷都したのです。中国の長安の都と再現した平安京は画期的な都市となりました。794年の事です。

奈良仏教の圧力に懲りている桓武天皇は平安京の中に自分の思い通りにならない寺院は作りませんでした。平安京遷都後、中国留学より帰国した最澄は比叡山延暦寺で天台宗を開き、空海は高野山金剛峰寺で真言宗を開きました。奈良仏教から見れば新興宗教です。その後、新興宗教ブームは続き、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、日蓮の法華宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗とつながって行きます。

新天地を求めて、先祖の地をはなれ、まったくの辺境の地だった、京都に移ってきたのです。革新に次ぐ、革新がその底流を流れています。京都は、日本初の事業や芸能やイベントが多いのはそのせいです。
打ち続く災厄を怨霊の仕業と考えた市民は、政府や朝廷に頼ることなく、怨霊を鎮める御霊会を始めました。それが毎年行われるようになり、今の「祇園祭」となっています。京都と琵琶湖の間にある山をくりぬいて、インクラインを利用した水運事業を行うと同時に発電所を建設して、市電を走らせたのも日本初です。

出雲の阿国が、京都の北野天満宮でユニークな踊りを披露して喝采を浴び、それが今の歌舞伎に繋がっています。千利休がお茶を茶道にまで高めたのも京都の地でした。本来なら、茶道は大阪・堺で発展する予定だったのですが、禅宗寺院、中でも大徳寺の影響もあり、京都の地で結実し、全国に広まってゆきました。
始まりを知ることは今を理解し、未来につなげる上でとても重要な意味合いを持っています。
会社も同様で、無から有を生じた創業の志は、脈々と企業の底流を流れており、その流れを絶やすことがなければ企業の命運も尽きることはありません。その志から離れた時、企業は「死」を迎えるのです。底流を流れる水脈が枯渇するからです。その思いは、創業者の肉体が滅びても、宇宙の時空を超えて今に繋がっているからです。見えないのは、その方の心眼が曇っているのでしょう。 

最終更新日 ( 2018/11/28 Wednesday 17:13:37 JST )
 
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