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2018/10/24 Wednesday 09:20:14 JST

No.1036 ≪時代の潮流が変わる≫-2018.10.24 目加田博史

 

いつから役人は「ごまかす」ことを「有能」と同義語に変えたのでしょうか。悪知恵を働かせてうまくごまかせる人が、有能なエリートとして出世するようです。役所や役人が「まちがい」を認めないのは古今東西変わらないかもしれませんが、あまりにお粗末で低レベル。ひどいと思うのは私だけでしょうか。
いまどき箝口令で都合の悪い事実をもみ消せると思っているのでしょうか?

話題になっている役所の障害者雇用実態の「ごまかし」問題には開いた口がふさがりません。ごまかさねば出来ない法律をなぜ作るかと思うし、法律ができればそれを徹底させるのが行政府の長である国や自治体の役目です。
21世紀は、たとえ障害があろうとなかろうと、何人たりともそれぞれが持ち味を活かして活躍できる社会のはずです。しかも、この法律は内閣委員会が発議し、全会一致で決議したとか。自分で作って、自分でごまかす。自分ができないことを民間にはやらせる。あまりにも「せこい」「情けない」と思うのですが。

ある役所で信じられない唖然とする出来事がありました。ある案件の入札の時、公告に対する質問も締め切られ、電子入札が始まりました。多くの会社が応札します。ところが、締め切り後に出された質問に対する回答が入札中にホームページにアップされ、それを知らずに応札し落札した会社が大損害を受けることがありました。
入札が始まってからアップされた内容は、「価格の1割を減額する」という重大なものです。応札業者は見込んでいた利益はおろか、赤字になってしまうのです。それを知っておれば応札する会社は皆無だったでしょうが、それは後の祭り。まるで詐欺のような出来事に、落札業者は、当然、発注主である役所に抗議しましたが、「私たちの手続きに問題はない」という姿勢です。ご存知のように受注した公共工事を辞退したり契約解除したりするのは、想像を超える高いハードルがあります。通常は無理です。たとえできても、後の仕返しは想像を絶します。例えば、検査の時に、いじわるされ、なかなか合格しないとか。公僕である役人は、いつから支配者になったのかと首をかしげます。

こんなことが続くはずはありません。時代の潮流は変化し始めている、世界は変わりつつあると実感します。会社の利益は、どれだけ社会を変革したかで評価されるようになってきています。今までの物差しに、「社会を良くする」「イノベーションを起こす」「人の能力を活かす」ことが重要になってきています。自社だけ、自部門だけ、自分達だけ良ければよいという組織の論理は破たんしつつあるのです。

日本の歴史を見ると、「流れを変える」「時代を変える」出来事ばかりです。
かって、肥大化した奈良仏教や藤原一族の強い影響力から逃れたかった桓武天皇は、即位から4年後の785年に、長岡京遷都を実行しました。流れを変えたのです。もたもたすると既存勢力の反撃を受けてご破算になりかねないので、藤原種継ら側近が中心になって進めていったのです。それには次のような背景がありました。
父親の光仁天皇は、壬申の乱以降、勢力に陰りが見えていた天智天皇系で、即位の可能性はありませんでした。白壁親王のまま生涯を終えると思っていたことでしょう。しかし、称徳天皇が崩御され、世継ぎが途絶えてしまったのです。降ってわいたように、皇位が回ってきて即位は61歳でした。当時33歳だった山部親王(後の桓武天皇)も21歳の次男早良親王も皇位継承は想定外で、早良親王に至っては東大寺の僧侶に出家していました。光仁天皇の崩御後、山部親王が44歳で即位し桓武天皇となり、東大寺僧侶だった早良親王は皇太子になりました。孤立状態の中で、周囲の冷ややかな目を感じながら、流れを変えようと遷都の決断を下したのです。
ところが、長岡京の造営長官の藤原種継が、桓武天皇の留守中に暗殺されたのです。調査の結果、どうも大伴一族が企てたクーデターだと判明しましたが、困ったことに、メンバーの中に、早良皇太子の関係者が数名いました。桓武天皇は、実弟の早良親王を拘束し、皇太子を廃し、淡路島に島流しをしました。ハンストして無実を訴え続けた早良親王は、淡路島に向かう途中で亡くなります。その後、天変地異が頻発し、桓武天皇の母親、妻、義母、親族が次々なくなり、病弱だった長男は日に日に衰えてゆき桓武天皇は悲しみにくれます。祈祷師に占わせると、実弟早良親王のたたりだとわかり、霊を慰めるために立派な墓を作り、菩提を弔う寺院をつくり、崇道天皇の称号を送り称えます。そして、造営中の長岡京を捨て、794年に平安京に遷都します。
さらに、最澄と空海を遣唐使として派遣し、奈良仏教に対抗させようとしましたが、志半ばで崩御されました。

時代を変えるのは、たった一人の志です。このままではよくない。もっと世の中をよくするために、流れを変えなくてはと信念し、行動を起こすことで変わるのです。
皆さんの周囲を見回してください。時代の潮流が変わってきているのを実感できるのではないですか?
流れを変えようと思えば、そうはさせないと反動勢力が必ず表面化します。その対立の中で、世の中は変わってゆくのです。

最終更新日 ( 2018/10/31 Wednesday 13:33:06 JST )
 
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