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2018/06/20 Wednesday 16:29:37 JST

No.1019 ≪災害は忘れたころにやってくる。大阪北部地震≫-2018.6.20 目加田博史

 

2018年6月18日(月曜日)07時58分。大阪北部地震(仮称)が発生しました。お亡くなりになった方々のご冥福と被害にあわれた方々の平安をお祈りいたします。
近畿地方にお住まいの皆様、被害はございませんでしたでしょうか、お見舞い申し上げます。
沖縄へ移動するため、乗っていた京都市地下鉄が、四条駅に到着し、ドアが開くや否や、一斉に乗客のスマホが災害警報を鳴らしました。ものすごい警報音がしばらく続き、何事かとメールを見ると、地震が発生したとのこと。メールではマグニチュード5.9(後で6.1に訂正)とあり、大きいなと思いましたが、地下鉄内では全く気づきませんでした。

「安全確認が済み次第、発車します。しばらくお待ちください」と車内アナウンスがありました。5分ほどすると、発車しました。京都駅につくと、JRはすでに入場制限しており、係員が、JRとすべての私鉄は運転を見合わせている事を告げていました。伊丹空港は被害が出ており閉鎖されましたが、神戸空港と関西空港は通常運航しているとのことでした。沖縄へは神戸空港から出発する予定でしたが、交通手段がありません。
もしかして、関西空港なら行けるかもと思い、空港リムジンバス乗り場にゆくと、高速道路が閉鎖されているので、見通しが立たないとのこと。さて、困りました。京都から出られません。多くの外国人観光客は大きな荷物を持って何が起こったのかわからず、途方に暮れていました。タクシーはありましたが、高速道路を使わずに関西空港まで行くには何時間かかるかわかりません。あの、外国人観光客たちはどうしたのだろうかと、気になりましたが、インバウンドが好調な今、このような時の対応を充実しないと、そっぽを向かれると思いました。対応次第で、日本ファンにするか、アンチ日本にするかの違いが出ます。そして、それがSNSで一気に世界に拡散することでしょう。

さて、私はどうすべきか? 京都からは動けない。とりあえず、搭乗予定の飛行機をキャンセルし、最終便を取りましたが、午後になっても鉄道の運転再開は難しそうだったので、これは神様から頂いた臨時ボーナスと思い、沖縄への移動を翌日に変更し、不安そうにしていた家族のもとに帰り、いままでたまっていた仕事を片付けることにしました。
ニュースでは、電車の中で缶詰になっていた方、駅の地面に座り込んでいる方、なかなか来ないタクシー待ちの長い行列に並び続ける方、仕方なく道路を歩いて移動する方の姿を見るにつけて、私はなんとラッキーだったのかと神に感謝しました。

1995年1月17日火曜日、午前5時47分。大阪・江坂のホテルの13階に宿泊していた私は、大きな衝撃とともに、けたたましい警報音にたたき起こされました。マグニチュード7.3の阪神大震災が発生したのです。
前夜は枕元に有ったテレビが足元に転がっていて、冷蔵庫は倒れ、溜まっていた湯船の水は無くなっていました。簡単に身支度して、階段を地上まで下りて驚きました。道路はガラスの破片でいっぱいで、見上げると窓の多くがありませんでした。
そのホテルは江坂でもメインストリートに面しており、大手企業の本社も数多く立地している場所なので、通勤時間は多くの通勤者でごった返す場所です。ここにガラスの雨が降るとどうなったかと想像すると、恐ろしくなりました。
情報が錯そうしており、大きな地震があったことはわかりましたが、どこで、どれぐらいの地震だったか、まったくわかりません。その日は、鹿児島でアポイントがあり、どうしても行かねばなりませんでした。地下鉄は止まっていましたので、移動はタクシーしかありません。空車がなかなかなくて、30分ほどかかりましたが、やっと乗ることができて伊丹空港に向かいました。空港は一部機能が制限されていましたが、鹿児島便は予定通り飛びましたので、予定通りの行動をしました。飛行機を待っている間にテレビをみると、なんと阪神高速道路が横倒しに倒れているではありませんか、残った高速道路には半分空中にでたバスが映っていました。
神戸三宮の街は高層ビルが隣のビルに寄りかかり、まっすぐ立っているビルもいくつかの階は衝撃で押しつぶされていました。あらゆるところで火災が発生しており、戦争中の空襲はこのようなものではなかったかと思うような光景でした。しかし、被害者は数人だとのことで、映像の悲惨さと被害の小ささのギャップに驚きました。家で心配しているであろう家族に電話しようと思いますが、全くかかりません。

鹿児島空港に着くと、被害は10倍になっていました。仕事を終えて、空港に着くと、被害はさらに10倍になっていました。大阪に着くと、被害はさらに10倍になっていました。時間がたつにつれて、情報が集まり、被害は拡大の一途でした。ホテルに行くために、タクシー乗り場に並ぶと、5重6重の長蛇の列で、一向に動きません。やっと来たタクシーから、運転手が下りてきて、片手を広げて「5人相乗り、一人5000円」と言っていました。タクシー待ちをしていた乗客は拒否しましたが、背に腹は代えられないと、要求に応じる人が出ました。後は、雪崩を打ったように、皆要求を呑んでゆきました。タクシーの中には、通常通りの対応をする誠実な会社もあり、人間の醜さと気高さの両方を見たような気がしました。

2度の地震にあった経験は、とても貴重でした。「登り坂、下り坂、まさか」と言われるように、想定外の出来事が起きた時に、どのように冷静に行動できるか。日ごろからの訓練、用心しかないと痛感しました。主な場所の避難場所を確認し、身の安全を確保できる場所を知っていることは、わが身を助けるだけでなく、他人の手助けにもなります。デマにも惑わされることが少なくなります。「インテリジェンス」能力を磨くことは、とりもなおさず、身を守ることと同義だと、あらためて痛感しました。
今日は取りとめのない話で申し訳ございませんでした。

 No.1019 災害は忘れたころにやってくる。大阪北部地震.pdf

最終更新日 ( 2018/06/21 Thursday 16:07:09 JST )
 
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