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No.984 ≪平家物語と徳川遺訓にみる経営の原点≫-2017.10.4 プリント メール
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2017/10/04 Wednesday 17:19:25 JST

No.984 ≪平家物語と徳川遺訓にみる経営の原点≫-2017.10.4 目加田博史

 

 台風で吹き荒れる突風や大雨による地盤の軟化で、根こそぎ倒れる木や根元から折れる木があるなかで、枝葉は吹き飛ばされていますが、幹はしっかりしている木があります。根が地中深く伸びて、しっかりと土をつかんでいる木は強いです。まるで東日本大震災の時の陸前高田市の奇跡の一本松のように。他の松の木は、津波の激流に耐え切れず流されましたが、奇跡の一本松だけは、流されなかったのです。

いつの世も、変化こそ常道。太古の昔から変化はつきもので、安定は続くものではありません。今は、その変化の度合いとスピードが桁違いに早いので、麻痺しているのです。大事なものまで忘れてゆく時代と言えます。

平家物語の冒頭で有名な「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。 たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」があります。おごり高ぶっている人の栄華も続くものではないし、振り返れば春の夜の宴のように夢のようなものだ。そこを良く考えよ、というのです。この、後に続くのが、「遠くの異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらは皆、旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の愁ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。」となります。
主旨は、遠く海外の事例を探してみれば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山、これらの人たちは皆、自分の主君である皇帝の政治にも従わず、わがまま放題、この世の極楽の限りを尽くし、他人の戒めにも一切耳を貸さず、天下が乱れていることをわかろうとせず、民衆の心が離れ、苦労していることを知らず、知ろうともしなかったので滅んでいった者たちであるという意味です。

さらに、こう続きます。「近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらはおごれる心もたけきことも、皆とりどりにこそありしかども、間近くは六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま、伝え承るこそ、心も詞も及ばれね」
意味は、最近の(1220年ごろ)我が国の事例をみれば、承平の平将門の乱(939年)、天慶の藤原純友の乱(940年)、康和の源義親の乱(1110年ごろ)、平治の藤原信頼の乱(1160年)、いずれも、おごり高ぶり、すさまじい勢いがあったが滅んで行った。ごく最近の例でみれば、前の太政大臣までなった平清盛公という人の有様は、伝え聞いているだけでも想像を絶するおごりがあり、滅んでしまった。

そこで、徳川家康は、辛酸を舐め尽くし、心棒に辛抱を重ねた結果、徳川幕府300年を構築することができました。徳川家康に次のような遺訓があります。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」
徳川家康から現代まで400年間に人間はどれぐらい進歩したかと言えば、性能的には、それほど進歩していないのではないかと思います。もちろん、電気の時代の現代とは科学技術は隔世の感がありますが、江戸時代でも関孝和のようにそろばんで微分積分を計算できたことを考えると、科学心・創造性は、もしかして退化しているかもしれないと思います。

そう考えると、疾風怒濤の激動の時代ですが、人間力の観点からは古典に学ぶことが有意義だと思います。
古典の学び方の泰斗、安岡正篤は幹や枝葉よりも根を伸ばすことの重要性を教えています。
「人間、先を見通すことができて初めて、迷っている者、目先の利かぬ者に対して、教え助けることができる。そこで物を考える上に大切な3つの原則を述べておきたいと思います。
第一は、目先にとらわれず、長い目で見る。
第二は、物事の一面だけ見ないで、できるだけ多面的、全面的に観察する。
第三は、枝葉末節にこだわることなく、根本的に考察する。
とかく人間というものは、手っ取り早く安易にということが先に立って、そのために目先にとらわれたり、一事からしか判断しなかったり、あるいは枝葉末節にこだわったり、というような事で、物事の本質を見失いがちであります。これでは本当の結論は出てきません。物事というものは、大きな問題、困難な問題ほど、やはり長い目で、多面的に、根本的に見てゆくことが大事でありまして、殊に人の上に立つ人ほど、これは心得なければならぬことであります。」

また、私の前職の恩師は、経営者は「原因自分論」、「現状否定」の人であらねばならないと口酸っぱく言っておられました。「何が起きても、すべての結果は経営者の責任である。うまくいったことは部下のおかげだと感謝し、うまくいかなかったことは経営者である私の責任であり、反省する。世の中は常に動いており、変化こそ常道である。だから、現状に安住し、何もしないのは退化であり、悪である。経営者はとどまることを知らない人である。常に、現状のやり方を否定し、不要なものは捨て去り、さらに向上を求めて、新しいやり方を取り入れて、革新してゆかねばならない。企業はゴールの無いマラソン競争である。死んでも命があるように、経営者の代が変わっても、常に時代に合った商品なり、サービスを考えてゆくことだ」

平家物語は、成功に酔い、現状維持に汲々としたがゆえに、民衆の心が離れ、自滅していったことを物語っています。この原理原則を知っていた徳川家康は、自らを戒め、目をさまし、耳を洗い、民の声を謙虚に聞いたのではないかと思います。その徳川幕府でさえ350年で、大政奉還という形で幕を閉じましたが、滅びたのではなく、より良い世の中にするために革新を図っていったのです。今のような科学技術はなかったかもしれませんが、国を経営する原理原則・本質を心得て、決断できた先達の智慧を会社の経営に生かしたいものですね。

最終更新日 ( 2017/10/13 Friday 10:15:03 JST )
 
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