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No.968 ≪「生かされている」生き方≫-2017.6.14 プリント メール
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2017/06/14 Wednesday 11:56:35 JST

No.968 ≪「生かされている」生き方≫-2017.6.14 目加田博史

 

「私」は、ある日、突然、この世に誕生したわけではありません。父と母のおかげです。その父にも父、つまり祖父、義祖父が、母にも祖母、義祖母がいます。さらに、曾祖父と曾祖母、義曾祖父と義曾祖母とつながってゆきます。10世代さかのぼると、512人の親がいます。20代さかのぼると524,288人の親がいます。30代さかのぼると、なんと536,870,912人。5億人を超えます。誰か一人でも欠けていれば、私は誕生していません。先祖と子孫のつながりの中に「私」が存在しているのです。

子供を授かった時の話です。妻も私も末子だったこともあり、両親はことさら喜んでくれました。
ある日の朝、目が覚めて階下に降りると、妻が食卓のそばで倒れていました。食事の準備をしていたのでしょう、テーブルの上には、いつでも食事ができるようになっていました。
驚いて、抱き起し、声をかけても反応がありません。今度は少し大きな声を出しました。すると、目をあけましたが、状況が呑み込めないようで、「どうしたの?」と聞いても、何を言っているのか要領を得ません。
とにかく安静にしないといけないと思い、妻をおぶって2階のベッドに寝かしました。「僕が誰かわかる?」と聞いても、反応しません。記憶をなくしているようでした。これは、急いで病院に連れてゆかねばならないと思い、タクシーを呼びました。当時は、救急車を呼ぶと、どの病院に連れてゆかれるかわからない時代でしたので、お世話になっている京都第二日赤病院に連れてゆきたかったのです。病院の救急窓口の電話番号は、兄が病気でお世話になった時に知っていましたので、電話して事情を話しました。すぐ連れてくるように言われ、タクシードライバーに事情を話して急いでもらいました。しかし、朝のラッシュ時で渋滞して動きません。意識不明のままの妻は時折けいれんを起こしましたので、舌を噛まないように、指をハンカチで巻いて舌を押さえ続けていました。何の信仰もなかったのですが、妻がクリスチャンでしたので、見よう見まねで神に祈りました。
すると、にわかに車の動きが良くなり、普段の半分ほどで病院につきました。すると、妻も意識を回復し、「私、どうしたの? ここは、どこ?」と聞いてきました。事情を説明すると、記憶が戻ってきているようでした。

主治医の医師はまだでしたので、当直の先生が、簡単な診察をして、様々な手配をしてくださいました。その時に、医師の呼びかけに適切に答えているのを聞いて、ホッとしました。

主治医の診察があり、子供はまだ7か月でしたが、母体の状況からみて、緊急手術することになりました。主治医からは、「母体と子供のどちらを優先するか決めてください」と言われました。「両方助けてください」とすがりましたが、「万が一のことがありますので、決めてください」と書類を渡され、署名を要求されました。私は母体に○をしました。後で主治医から聞いた話ですが、「奥さんは重度の妊娠中毒で、京都で戦後4人目です。一人はなくなり、一人は植物人間で、一人は失明されました」といわれました。

病室に行くと、面会謝絶の札がかかっており、妻は寝ているようでした。室内は黒いカーテンに覆われ、電気も消えて真っ暗で、異様な雰囲気に包まれていました。声をかけようとすると、看護師さんが、あわてて制止して、小さな声で「少しの刺激も危険な状況です」と注意されました。部屋で唯一明るいデジタル計に0と200の数字が交互に表示しているのを指さすと、「血圧計」だと教えてくれました。

手術の準備が整い、妻は手術室に向かう途中、意識を回復したので、私は何か声をかけましたが、何を言ったか覚えていません。妻が看護師さんに「戻したいんですが」と言うと、「戻しても大丈夫ですよ、準備できているから、我慢しないで」と答え、妻が「ありがとうございます」という声を聞きながら、手術室に入って行くのを見送りました。その間に、来てくれたんでしょう、義母さんの姿を見て、心強く励まされました。

12時55分。子供が生まれました。体重は1240g。妻の主治医は、「心配されたでしょう?奥さんは大丈夫です」と聞いて体の力が抜けてゆきました。「小児科の先生から話があるそうですから、聞きに行ってください」と言われ、子供の保育器がある小児科に行きました。子供の主治医は、「申し上げにくいのですが、明日の晩が山です。黄疸が出なければ、乗り越えられます。ただ、それでも失明の危険は残っています。後は、お子さんの生命力に期待しましょう」と言われ、「よろしくお願いします」としか答えられませんでした。
窓越しにみる子供の姿はとても元気でしたが、体重記録をみると、時間の経過とともに、880gまで下がっていました。私の仕事は、妻の母乳を、子供のいる部屋に運ぶことでした。その母乳を子供が勢いよく飲む姿をみて「大丈夫」と根拠のない自信が芽生えました。妻は子供を見に行く許可がなかなか下りませんでした。許可が下りたのは、出産から3日後、小児科の主治医から、「○○ちゃんは峠を越しました。もう大丈夫です」と言われた時でした。妻を連れて、保育器の中で元気に暴れまわっている子供を見に行きました。すると、こどもはじっと妻を見つめて、「お母さん、遅かったね。ぼくだよ」と言っているようです。まだ、目は見えていないはずなのに。その後、子供は「メカぼん」と呼ばれ、小児科保育器室の看護師さんによる人気投票でダントツの1位を取ったそうです。

見えない力が働き、私の出勤前に妻が倒れ、普段なら大渋滞する道路がスムーズに流れ、主治医のいる病院の救急窓口が受け入れてくれて、どちらかを選べと言われた緊急手術で母子ともに助かり、二日目が山だと言われた危機を乗り越えることができました。いつしか、病室に持ち込んだ十字架に祈るようになっていました。
それまでは「(自分の力で)生きている」という傲慢さがありましたが、この出来事を経験して、神様や仏様やご先祖様という見えない存在を意識するようになり、傲慢さが薄れ、意味があって「生かされている」ことを強く実感するようになりました。
もし、私が出勤した後に倒れておれば、妻はもうこの世にいなかったでしょうし、もし、道路がいつものように渋滞しておれば、どのような後遺症が残ったかしれません。
後で聞くと妻は、「その日は、いつもより早く起きて、お風呂に入り、新しい腹帯に変え、いつでも出かけられるように服を着替えていた。(私が)起きてくる5分前まで覚えている」そうです。なにか感じるものがあったのかもしれません。「生かされている」感謝の心で生きる生き方をこれから続けてゆきたいものです。

最終更新日 ( 2017/06/14 Wednesday 11:57:24 JST )
 
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