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No.406【会社は危険がいっぱい】-2006.5.17
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No.899 ≪巨星入寂≫-2016.1.20 プリント メール
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2016/01/20 Wednesday 10:47:01 JST

No.899 ≪巨星入寂≫-2016.1.20 目加田博史

 

私の大師匠で、今の天職と出会うきっかけになったタナベ経営創業者の田辺昇一氏が93歳で急逝されました。お亡くなりになる日も贔屓の理髪店に行かれる予定だったそうで、「良店不変客、良客不変店」が口癖で、良い店はお客様が離れないし、良いお客はお気に入りの店を変えないものだと、生涯通い続けられました。
私は19831217日に29歳で経営コンサルタントとはどのような仕事かも良く理解せぬまま、外食産業から田辺経営に入社しました。入社したてのころに、こんなアドバイスもいただきました。
「一流になれ。一流になるには、一流の人と付き合うこと。そのためには手入れの行き届いた良いカバンを持ち、ぴかぴかに磨いた靴をはき、一点豪華でよいから良い名刺入れを持ち、一生もののペンを使って、良質の社用箋を使え。一流の人が集う一流のホテルにゆきロビーで一日を過ごして、一流に触れなさい」
暇があると大阪の一流ホテルに行きました。大阪ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)、新阪急ホテル、京都ホテル(現オークラホテル京都)、蹴上の都ホテル(現ウェスチンホテル)。一流の人は、威風堂々、背筋をぴんと伸ばして、自信あふれる所作をしています。日頃から一流に見慣れているスタッフの対応を見るだけで参考になりました。

また、こんなアドバイスもありました。「人生は遺伝、偶然、環境、意思が影響すると言われるが、偶然は必然だ。たとえ、偶然にみえてもすべて必然なのだ。偶然は必然を生み、必然は偶然を誘う。それを後押ししてくれるのが環境と意思である」偶然と思うとラッキー、アンラッキーで終わってしまうが、必然と考えるとそこに意味を見出し、気づきがうまれ、行動を変えてゆくきっかけになる。
私が天職である経営コンサルタントの仕事と出会うために経験しなければならなかったこともすべて必然で、その準備だったといえます。そして、沖縄やイギリス、中国、台湾との出会いも、これから起きる様々な出来事の準備だと思えるのです。

毎年10月の最終土曜日に京都でタナベ経営のOB会「きらら会」(田原敏男会長:93歳)を開いており、毎回欠かさず田辺昇一氏はゲスト参加され、講話をいただいております。最後のご参加となった昨年の1024日の「きらら会」では、高台寺麓の人気絶頂の「THE SODOH」で行いましたが、足元が悪いとクレームをいただき、次回からは京都オークラで開催することになっていました。講話はコンサルタントになったいきさつや人脈の大切さを往年の田辺節で語ってくださいます。要点をご紹介し、ご冥福をお祈りしたいと思います。

「戦時中、東北帝国大学でロケットの研究をしていた。仲間の多くは学徒出陣で亡くなった。終戦の時、研究者は占領軍に殺されるといううわさが流れ、血気盛んな23歳の私は、殺されるぐらいなら自決する覚悟でいた。当時、家庭教師をしていたのが乃木大将のお孫さんの娘さんというご縁もあり、お孫さんから、自決するなという和歌をいただき、思いとどまり、故郷の小浜に戻りました。駅でボーっとしていると、金属工場の工員募集のビラが目にとまり、さっそく応募すると採用された。工場では大学出の技術者がいつまで続くかと冷ややかな目に耐えて、工場長と掛け合い、技術を教えてくれと頼んだところ、快諾してくれた。5時には出社し、技術を覚え、25歳で工場長に抜擢された。労働組合の委員長の時に閑職に追いやられ、その時に、大阪で合理化研究の勉強会があり推薦されて参加することになった。そこでは、Dr.デミングとの出会いもあり、最終的にコンサルタントの道に進むきっかけになった。皆の反対を押し切り、金属工場を退職し、合理化の専門家になった。当時のコンサルタントは乞食商売で、何の信用もなかった。そこでオナシスの本にあった『信用の傘に入る』ために、顧問先の紹介で日本信託銀行の京都支店で開業した。偶然は必然であり、人生は出会いだ。様々な出会いで93歳まで元気に生きてゆけることに感謝している。」

 
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