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No.993 ≪大政奉還と王政復古に学ぶリーダーの覚悟≫-2017.12.6

No.993 ≪大政奉還と王政復古に学ぶリーダーの覚悟≫-2017.12.6

 

いまから150年前、1867119日(新暦)に、世間は、尊王攘夷で揺れに揺れていた幕末に、最後の将軍となった徳川慶喜は、倒幕圧力を大政奉還という手法で、するりとかわしました。朝廷から、政治の大権を預かり、征夷大将軍の勅命を受けて、幕府を設立し、約260年にわたり、日本を統治していた徳川幕府が、その権限の根源である大政を朝廷に返上するというのですから、討幕派にすれば、倒幕出兵する大義名分がなくなってしまいます。

最初は躊躇していた朝廷も、有力藩主の説得もあり、受け入れることとなりましたが、大政奉還されたからといって、すぐに日本を統治できるはずもなく、統治システム作りから始めなくてはならないため、引き続き徳川幕府に頼らねばならないのが実情です。実効支配しているのは幕府なので、名目だけ返上して、新政府を樹立されたのではたまったものではないので、討幕派はクーデターを起こして、本当に新政府を樹立することにします。それが186813日に起きたクーデター、王政復古の宣言です。
大政奉還した119日から王政復古の宣言を行った13日までの約2か月の間に、年末年始を挟んで、日本は、攻守こもごも、時々刻々と変化する政治の季節を、迎えていたことになります。坂本竜馬、西郷隆盛、勝海舟等の明治維新のヒーローたちが躍動していたころです。
方、討幕派の中心である薩摩にはイギリスがついており、幕府側にはフランスがついて支援していました。1853年に、ペリー来航により、アメリカに先を越された、イギリスとフランスには、日本の利権競争に遅れをとった焦りがあり、日本を内戦に向かわせてチャンスとすべく、積極的に情報提供や武器供与をしたことでしょう。

同時に、何という偶然か、幸いにも、最初に日本との間に不平等条約を締結したアメリカは、南北戦争の内戦真っただ中で、日本どころではありませんでした。イギリスとフランス、そしてロシアが機会をうかがっていましたが、アメリカ抜きで、行動できただけ、日本にとってはラッキーだったといえるでしょう。
260年続いた徳川幕府の権限を返上することで、公武合体路線で、生き残り、延命を図ったとも思える徳川慶喜ですが、内戦になれば日本が植民地化されるリスクは、中国・清のアヘン戦争後の悲惨さをみて、熟知していたでしょうから、悩みに悩んだことは想像に難くありません。
一方、倒幕新政府派は、倒幕の大義名分を封印されて焦っていたでしょうし、様々に画策して、様々な動きの中で、結果的に、慶喜の望んでいた方向で、クーデターが起きたのではないでしょうか。大政奉還するまでは、有力藩主の同意を持って行えるでしょうが、今までの権利を放棄し、新政府には一切関与せず、新政府に一任して、無条件に従うことを、かっての部下に納得させることは無理だったでしょう。岩倉具視や薩摩藩・長州藩による無血クーデターなくして、実現しなかったように思います。

最も難しいことが、当事者による既得権益の放棄ですから、それを、日本を欧米の植民地にしないという一点で、決断し、行動した結果、明治維新が、世界に類を見ない、無血革命となりました。
これは、徳川慶喜の決断なくしてはあり得なかったことだと思います。

会社でいえば、局面を打開するために、放棄しなければならない既得権益とは何か、それはどうすればできるか。例えば、日銀のマイナス金利で、メガバンクは、本業で著しい減益になり、リストラ圧力が高まっています。
大規模な人員削減は当然としても、フィンテックに対抗できるような体質転換をしなければ、グローバル世界では生き残れません。中国では、14億人の9割以上が利用しているアリペイやWe Chatペイがあり、収集され蓄積された個人データを国が管理する体制が整っています。これに対抗するにはどうするか、それは、人員削減で可能なのか。
徳川慶喜の行った大政奉還と新政府の行った王政復古のクーデターを起こさねば、立ち行かなくなっているビジネスが多数ありそうです。そんなことを思いながら、師走を過ごしたいものです。

 
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